今年で5年連続出場となったソウル国際マラソン。
今回は、マラソンの奥の深さと、韓国の人たちの温かさなど今までの4回とはまた違った感動をもらった素晴らしい大会となりました。
2007年の大会に、母の韓国語学習の実戦練習も兼ねて出場したのがきっかけで、その後初サブスリー、自己ベストなど、私にとってはとても相性がいいレースで、コース・沿道の応援、運営方法などとても気に入っているこの大会。今回も、去年の大会の帰りに今年のホテルを予約し、1年間ソウルを目指して練習をしてきました。
そして、いよいよレースに向けて仕上げに入った3月11日、巨大地震と津波が東日本を襲いました。私の地元でも名古屋国際女子マラソンは中止、ソウルと同じ日程で開催予定だった板橋マラソンも中止と、日本は自粛ムード。
自分自身もこんな時期に、家族を残して韓国に行ってマラソンなんてやっていていいのだろうか?と言う気持ちも湧いて来て、非常に複雑な気持ちでした。しかし、出場したい気持ちに変わりは無く、行く以上は走れない人の分まで、しっかり自分の力を出し尽そうと言う気持ちで今回の大会に臨みました。
今回は、初めて走友のご夫妻と一緒にソウル入りしました。
前日の受付で日本人専用デスクに行くと、走友の知り合いのランナーもいてこのあたりは、海外マラソンの緊張を解きほぐしてくれます。毎年ソウルへの日本人参加者が徐々に増えている事を感じますが、そうかと言ってホノルルの様に日本人ばかりと言う事も無いので、このあたりが丁度いい感じがします。また、ソウルマラソンではサブスリーをすると『名誉の殿堂』に入れて頂け、ゼッケンもゴールドゼッケンを貰えるのですが、今年初めてそれを頂き自然と気合が入ってきました。
そしていよいよレース当日、今回は5年目で初めて雨のレースになりました。8時スタートに合わせ、早朝に食事にホテルから出ると霧雨の様な雨が降ってきました。しかし、意外に温かくこの程度の雨と気温ならむしろ呼吸が楽でいいレースが出来そうだとこの時は思っていました。ところが、スタート時間が近づくにつれて段々寒くなってきます。
この大会では、スタート位置で脱いだウェアが寄付に回るので、直前まで防寒着を着て置いて行くことが出来るのですが、スタートが近づいてこれを脱ぐと思わず震えあがりました。そして、いよいよスタート。ここで思いもよらぬことが、スタート前に『日本の大地震の被害者を悼み、全員で黙祷を捧げます』というアナウンスが入りました。スタート前に2万5千人が日本の事を思って黙祷してくれる。日本と韓国の間にある複雑な問題は別として、祈りを捧げてくれた事に胸が熱くなって、涙が出て来ました。
今回レース中も、日の丸や『がんばろう日本』などと書いたシャツで走っていた日本のランナーがいましたが、沿道の方はその姿を見ると『イルボネ(日本人)ファイテー』と声援を送ってくれました。また、沿道のあちこちに『がんばれ日本』と書かれた看板などもあって、ありがたさに胸をうたれました。
さて、レースの方ですが、初めの5Kmは19分43秒で入りましたので、少しは身体が温まって来てもいいのですが、なかなか温まりません。それどころか、10Kmを過ぎると手袋が濡れて手がかじかんで来て給水も取りにくい状況でした。そして、12Km過ぎに清渓川を折り返してしばらくすると、脚の動きが明らかに悪くなってきました。
そこに後ろから、2時間50分ペースランナーが追い付いて来て、その集団が抜いて行きます。何とか付こうと思いましたが、身体が動いてくれません。『こんなところからこんなんじゃヤバいぞ』と思いながら、何とか自己ベストだけは出したいと歩を進めました。ところが、今度は20Km過ぎに第2のピンチ。給水を取ると胃が痛くて吐きそうになりました。恐らくお腹が冷えて胃の働きが悪い所に、冷たいドリンクがいけなかったのでしょう。25Kmの給水でも同じような状況でしたので、ここからは給水を取らずに行こうと考えました。
30Km過ぎには段々ペースが落ちて来て、大好きな35Kmからの漢江を渡る蚕室大橋を渡る所も全く余裕が無く、もうだめかと思いました。しかし、沿道の応援とゴールドゼッケンをもらっているプライドと日本の大会が中止になって走れない走友に恥じない走りをしようと歯を食いしばって走りました。
そしてゴール、何とか2時間59分08秒でゴール。ガタガタ震えてのゴールでした。
今回は、完全に雨を甘く見た自分自身の寒さ対策の失敗で一つ勉強させてもらいましたが、来年は必ずリベンジしにまたここに帰って来ようと決意を新たにしました。今回は雨で寒く、厳しいレースで身体は震えあがりましたが、韓国の皆さんの善意に心が温かくなったレースでした。
6回目のソウル国際マラソンはどんな感動が待っているのか?今から楽しみでなりません。
(2243 土岡 直樹)
【2011年大会の様子】